裁判所の事情

 私の感覚ですが、東京地裁や大阪地裁のように、交通事故の専門部があるところは交通事故ばかりやっているわけですし、東京や大阪のような規模になると高次脳機能障害の案件もそれなりにあるはずですから、部としての蓄積があるんです。そんなに素人でもないはずだと思っています。

 地方の、専門部がないところは、そもそも高次脳機能障害が分からない以前に交通事故の事件処理自体がよく分かっていない。そんな裁判官は珍しくありません。裁判官が関わる案件はいろいろなものがたくさんありますので、裁判官人生の中で交通事故を必ずやるというわけでもありませんし、やったとしても件数は限られることが多いと思うのです。

 そうすると交通事故独特の保険制度やそれに対する理解をはじめ、後遺障害については身体のレベルの話であれば見れば分かるので分かりやすいのですが、高次脳機能障害のようなものや高次脳機能障害以外のいろいろな難病と言われるもの、交通事故を契機に発症したけれど全身に疼痛が発症するなどの類で、なおかつ原因や仕組みがよく分かっていない、少なくとも医学界では議論があるものについては、理解が追いつかないのです。

 自分が自信がない分野で自分の責任で判断しなければならないとなると怖い。怖いとどうするか。

 立証責任は原告である被害者が負っているので、原因や症状がどういうふうに起こっているか分からないものについては「立証できていない」と判断してしまう。少なくとも高い等級は出せないという傾向になると思うのです。

 裁判官としては立証責任のところで勝負をつけるわけで、裁判官の逃げでもあるのですが、少なくともそこに頼るしかない現実があります。

 かといって逆に理屈がよく分かっていないものを被害者がかわいそうだからといってむやみに……というのもそれはそれで問題があり、保険制度が破綻してしまう話になりかねません。

 個別の事件を処理しているときに裁判官が保険制度の破綻まで考えているわけではないと思います。しかし、どこかでは考えているはずです。

 要するに、あまり緩い判断をしてしまうと制度が持たない。結局保険制度が壊れてしまうと本来きちんと賠償を受けることができる人が受けられなくなってしまう。

 例えばムチ打ちが典型です。交通事故で最も出る後遺症がムチ打ちですが医師もむち打ちはよく分からないと言います。画像など客観的な検査では分からないことが多く、患者さん本人の自覚症状に依拠せざるを得ないからです。

 検査して分かるとかそういう話ではない。神経そのものに傷ができたとかいうことがあるのかもしれませんが、今の医学レベルではそこが分からないのです。

今の医学の限界

 ただ、そうはいっても、詐病ではない人が明らかにおられます。そうすると、そこのところが今の医学の限界ということになります。100年後には医学がもっと進み、神経自体を見ることができるようなCTやMRIが発達して判断できる日が来るかもしれませんが、今現在は分からない、限界があるのです。

 そこで、ではどこまでやるかという話になりますが、そういう保険制度を含めて考えざるを得ない部分があります。

 今の交通事故、特に自動車事故に対する賠償ができているのは自賠責保険と任意保険があるからです。それが整備されていない自転車事故の場合はそれこそ轢かれ損や亡くなり損になって最近社会問題にもなっています。

 この制度が維持できているのはとても重要なことであり、政策的な意味では否定できません。

 医学的に証明できない部分を安易な理由で「かわいそうだから認めてあげる」とするわけにはいかず、どこかで線引きせざるを得ないのです。裁判官は個別の事件ごとに出てきた証拠によりケースバイケースで判断していますから、どこまで認めるかは担当した裁判官と実際に提出できる証拠関係によっていろいろあると思います。

 むち打ちの場合等級が高くなっても限界があるのですが、高次脳機能障害は1級から、高次脳機能障害と認められないと14級になるなど、天と地の差が出ます。

 1級くらいなら身体そのものに影響が大きいので、寝たきりになったり四肢麻痺を併発したりして、見た目も明らかに違うという人が多いのです。ところがそこまでいかない3級などの場合見た目は変わらないことが多いのです。ただ、記憶力や注意力、作業能力などを含めて精神症状の障害として出るものが極めて大きい。交通事故をきっかけとする精神疾患は、パターンとして脳のケガによってそうなってしまう器質的な場合のものと脳にケガはないのだけれど交通事故によるショックであったり、治療がしんどい、長引くなどから精神的に病んでいく非器質的精神疾患があります。器質的というのは、脳という内臓・器官自体に物質的・物理的に不具合があり、それが原因となっているということです。器質的かどうかというところで評価がだいぶ違うのです。

 高次脳機能障害は脳に傷ができたことによる精神的障害であり、脳細胞は再生しませんから、残った脳細胞をリハビリにより一定のところまでカバーできるようにするのが限度です。ところが、そうではない非器質的精神疾患ということになると、いよいよ分かりにくいし、脳細胞が失われたわけではないので、そもそも治るかもしれないというレベルの話になるのです。非器質的精神疾患は、脳自体に傷がないため、事故との因果関係も含めて分かりにくいですし、将来的な見込みが流動的な疾患ですので、等級があまりいかないのです。そういう意味で脳に傷ができたかどうかはとても重要なファクターになります。

分からないことが多い脳

 そこで、脳に傷ができたかどうかをどう判定できるかとなると、まずは画像上の異常があるかどうかという話になります。

 通常の高次脳機能障害では頭部を打ったりして脳挫傷、外傷性クモ膜下出血、硬膜下出血(血腫)、硬膜外血腫などの病名がつくケースが多い。高次脳機能障害は交通事故だけではなく、脳卒中などが原因の半分以上を占めるのですが、明らかに脳が出血して傷が生じましたねと画像で分かるのが通常のケースで、これは分かりやすいのです。

 また画像上の異常が確認できない場合でも、意識不明などの重度の意識障害が事故から
数時間続いたとか、頭がボーとするというような軽度の意識障害が事故後数日続いた場合には、脳のなかで何らかの神経系統の異常があるだろうと推測できるので、これも器質的な脳損傷による高次脳機能障害と認められることがあります。

 しかし、軽度脳損傷(MTBI)の場合は、そもそも脳出血したかどうか、一時的に出血したとしてもどれくらの出血か、あるいは事故時にそもそも頭を打っていないし、事故直後の意識障害も明確なものが確認できない、という話があり、その場合にはあまりよく分からない。つまり、画像上異常がない、意識障害が確認できない、ということが散見されるのです。

 しかし、出ている症状はあまり変わらなかったりして、事故をきっかけとした非器質的精神疾患なのか実際には脳に何らかの傷があることによるものなのか、というところが極めて分かりにくいのです。

 実際脳はよく分からないことが多いのです。

 広島メープル法律事務所のサイトに載っている事例で、画像所見や意識障害が乏しいが高次脳機能障害として一定の後遺障害等級が認められた案件がありますが、これは意識障害が全くなかったわけではないのです。高次脳機能障害についての要件として、意識障害について自賠責などが定めているのは、一定の期間続くことであり、強い意識障害ならある程度短くていいのですが、弱い意識障害の場合はかなり長い時間続くことが求められます。この事例はそこまでではないのです。

 画像所見もないわけではありませんでしたが、誰が見ても明白というものではなかったようです。画像の読影は医師にとってもハードルが高いところがあり、判断が微妙になることもあります。

 ただ、いずれにしてもこのケースは画像所見や意識障害が全くないというレベルではなく、主治医に書面による証人尋問をして、改めてその辺りを証言して貰うことができました。そういう意味では裁判所も踏み込んで高次脳機能障害と判断しやすかったのではないかと思います

 これがまるっきり画像所見がない、意識障害もないという状況になると、症状がそうだからとしか、高次脳機能障害の専門医でも言いようがないのです。 

 臨床医としてはとりあえずそういう症状が出ていれば高次脳機能障害だろうと診断して、それに対する治療をするしかない。医師はそれでいいわけです。

 画像所見や意識障害が必要などの話は高次脳機能障害の確定診断に無意味ではありませんが、賠償の手続きのレベルという側面が強い。医学的な意味で実際どうなのかとなると学術上の論争がありますが、臨床医は出ている症状を治すのが一次的かつ最優先の役目ですから、高次脳機能障害のような症状が現に出ているのであればそれに対する治療をするわけです。

臨床現場と賠償手続きのギャップ

 ここに臨床現場と保険制度を前提とした賠償の手続きの問題はギャップがあるわけです。保険制度を前提とした賠償手続では、高次脳機能障害など原因によって等級が変わる場合があるため、出ている症状だけでなく、出ている症状の原因について、高次脳機能障害であれば、器質的つまり脳に傷があることによってこの症状が出ているという結びつきの証拠が手続き上要求されます。そこがなかなかうまくいかない。

 恐らく臨床医から見たら何でそんなことがいちいち問題にされなければならないのかという話になるのでしょうが、お金を出す側からするとかなりシビアな問題なのです。

 明確に画像所見などがあれば高次脳機能障害という傷病名をつけることに問題ないし、それに対応して後遺障害の等級がぐんと上がる可能性があるわけですが、それがない、つまり非器質的精神障害だとせいぜい9級くらいまでしかいかない。9級が上限なので実際の運用ではもっと下の等級になることも多いのです。

 意識障害の有無や程度について、救急隊に弁護士照会で問い合わせることも少なくありません。なぜこういうことをするかというと、搬送された病院のカルテに書かれていないか十分でないことも多いからです。救急隊が現場に到着したときやその後病院に搬送しているときに患者さんが意識朦朧としていたとか受け答えが不十分だったなど意識障害があった場合にはその様子を記載して回答してくれるのですが、病院のカルテには「意識障害なし」と書かれていることがあります。

 救急病院では救命が最優先ですから、その処置に一生懸命でカルテに正確に記録するといういとまがなく、また、それ故にそうした意識があまり高くないのかもしれません。しかし、ご家族に聞くと、搬送後の本人と話したり呼びかけたりしたときに反応がおかしかったという話はよく出てきて、そこがカルテと合わないというケースがあります。

 救急現場で医師や看護師が救命第一で行動するのは十分理解しているつもりですが、高次脳機能障害の人やご家族があとで困ることになるのでしっかり観察確認して記録をつけてほしいと希望します。

自賠責の変化の兆しを期待

 今の自賠責では高次脳機能障害と認めるための要件として症状が出ているだけでは認めてくれません。器質的原因でこの症状が出ているという証明が必要なのです。ところで、こうした画像所見や意識障害の要件を十分満たさないが高次脳機能障害的な症状が出ている場合のバリエーションとして、「MTBI」が最近よく言われます。これは重度の意識障害がなくても、交通事故により脳に損傷を負った場合で、「軽度外傷性脳損傷(Mild Traumatic Brain Injury)の略称です。ここで「軽度」とは意識障害の程度が軽微であることをいい、決して症状が軽微というわけではありません。

 平成30年5月31日の「自賠責保険における高次脳機能障害認定システム検討委員会」報告書では、MTBIの自賠責での等級評価について、従前の扱い(平成23年報告書)を変更しないとしながらも、MRI、CT等での脳損傷を示す画像がなくても、
①軽度の意識障害が認められる場合には、脳外傷による高次脳機能障害が生じているか慎重に検討していくことが必要
②中程度以上の意識障害がある場合には、神経心理学的検査等に異常所見が認められる場合には、意識障害の有無・程度・持続時間を参考に、症状の経過を把握していくことが必要とし、いずれも高次脳機能障害審査の対象とするとしました。

 ただし、実際には、消極的であった従前の扱いは変えないということなので、容易に認められるように実務が変わるとは期待しにくいのですが、変化の兆しとして期待したいところです。